湯村温泉郷と竹中英太郎記念館

生誕百年記念特別展 2006年9月

生誕百年記念特別展、9月15日に始まった前期は戦前の挿繪原画の展示です。『モノクロだけの原画展はこの企画展が終了しますと当分は予定しておりませんので、ぜひご覧頂きたいと思います。』と9月14日館長さんの日記に書かれています。

2階奥の展示室に入ると竹中英太郎ファンにはお馴染みの横溝正史、「鬼火」の挿絵が目に入ります。その下にあるガラスケースには、検閲の犠牲となって無惨にもページが切り取られた部分が開かれた「鬼火」掲載誌、それを復活して復刻された図書、削除の経緯を記した展示が置かれています。

竹中英太郎記念館
鬼火 横溝正史

この展示室は壁面に飾られた原画と対比してガラスケースの中にはその挿絵掲載誌が置かれています。見比べてみると掲載された挿絵の原画が、いかに細密、綿密に描かれているものかを知ることができました。竹中英太郎の挿絵原画を印刷して表現するために技術革新があったという意味のことが書かれた文章があります。それは「百怪、我ガ腸ニ入ル」の158ページから高橋康雄が『[解説]自らにだけは、恥なく・・・』として書いているものです。以下、該当箇所を引用しておきますが、これは山名文夫の文章を高橋康雄が引用したものですから、ここでは孫引きになります。
(漢数字をアラビア数字に修正したり版元を補足しましたが、山名文夫の原本は読んでいません。ダヴィッド社 162-0805 東京都新宿区矢来町41 Tel. 03-3260-1271 Fax. 03-3260-1271 )

 西口編集長は早速、英太郎の数枚の挿絵を預って同社の美術部の山名文夫に見せた。もし見どころがあるようなら使ってみたいということであった。やがて、見込まれて大下宇陀児の「盲地獄」(『クラク』昭和2年-1927-11月号)の挿絵を描くきっかけが出来た。数日して英太郎は作品を持参してプラトン社に行き、山名と初めて会った。詰めえり服の学生姿なのに山名は驚いた。英太郎は第一外国語学校英文科に通っていたのである。当時の状況を山名はつぶさに記している。

 挿絵史上画期的な描法であったとの評価も書かれている。少し長くなるが、資生堂デザインに勇名を馳せた山名の発言には聞くところが多いので引用しておきたい。
「竹中はまたたくうちにさしえ界の寵児になった。私の期待どおり、ミステリーのさしえ画家として、その頃怪奇探偵小説の流行作家であった江戸川乱歩の作品のさしえを独占した感があった。乱歩のものには私も度々さしえを描いたが、彼の作品の味を写す点では竹中が一枚上であった。前に川口松太郎と岩田専太郎氏のコンビのことを書いたが、ここにまた、江戸川乱歩氏と竹中英太郎のコンビが生まれたわけである。」(『体験的デザイン史』 ダヴィッド社 1976)

 英太郎の特異な描法はハイライト版という印刷技術の革新につながるものであったことになる。つまり、濃淡を表わす絵がそれまでは少なかったということにもなろう。もちろん、それまでは製版技術が濃淡の調子を出すところまでいってなかったことはいうまでもない。山名の技術はさらにつづく。

「竹中英太郎のさしえを、今までにない描法の風変りな作品と紹介したが、その意味はこうである。新聞や雑誌の小説のさしえは、明治から大正の初めにかけては、薄い和紙に毛筆で描いた原画を版下にして、木版に彫ったものである。新聞など、急ぐ場合には版木を二つに割って、彫師が手わけして彫ったものである。その後、ジンク凸版やアミ目銅板になって、ペン描きの原稿でも濃淡のある絵でも、版にすることができるようになった。昭和の初め頃までのさしえは、みなこうした製版によっていた。

 ところが、竹中英太郎の原画は、線画の部分あり、濃淡の部分があり、従来の、凸版とアミ版のどちらで製版しても、原画の調子が出ないのである。私は現在行われているハイライト版が、いつ頃わが国で始まったか知ることがない。おそらくはその当時でも、いろいろな印刷に使われていたのであろうが、私の知る限りでは、竹中英太郎の風変りなさしえを製版するのに、この方法を使わざるを得なかったのである。いわば、ハイライト版をさしえに導入して、自由な表現を可能にしたのが竹中英太郎であった。われわれは啓発され、金属的なペンの線とやわらかい筆のぼかしで、味を出すことできるようになり、絵と写真のモンタージュでさしえを考えることもできるようになり、さしえ技術の道が急に開けたのである。」(同上)

ハイライト版―写真やイラスト・マンガ原稿で、ハイライト部分をとばしてコントラストを強めにコントロールした版にすること。イラストなどが描かれた用紙の調子などをなくし、描かれたイラストのみが製版できるようにすること。スキャナでハイライトドロップアウトを効かせて、任意の網点%以下の濃度をとばして作成する方法などがある。―日本印刷出版株式会社 印刷用語辞典
竹中英太郎記念館
2階展示室、英太郎装丁の図書

竹中英太郎が絵に記した署名が多様であることに気が付きますが、2階展示室への階段の壁面には、それらの署名を集めたパネルがかかっています。全部でいくつあるのか数えていませんが、こんなに色々あるのかとびっくりしました。
そういうレタリングの技を発揮したのでしょうか、竹中英太郎は当時でも挿絵の他に本の表紙、題字も制作していたのですね。今回の展示で僅かにカラーがあるのはこれらの書物です。

初日訪問記、ブログ記事転載

山梨日日新聞2006年9月15日文化欄紙面で紹介されました。
 
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