横溝正史と竹中英太郎

山梨市の横溝正史館 移築の経緯

横溝正史館建築工事起工式
◇ 2006年11月22日の山梨市ホームページのニュース「横溝正史館建築工事起工式を挙行」を記録してあります・・・
 山梨市の中村照人市長が「推理小説の巨匠と呼ばれた横溝正史さんの書斎が、縁あって山梨市に移築されることとなりました。文化のまちづくりを進めている山梨市にとってはとてもうれしいこと。新たな分野のまちづくりにつなげたい」とあいさつし、この日、出席を予定していたという横溝亮一さんの手紙から、「都会育ちの私にとって、新しいふるさとができた想い。今後、休息の場として訪れるとともに、地方の文化の発展に協力していきたい」と、一文を紹介。推理小説の構想をひねり、執筆活動をした横溝氏の思い出がいっぱい詰まった書斎は、「横溝正史館」として復元され、2007年3月に完成、一般公開される予定、とのことです。
これを報じたのは毎日新聞山梨版でした・・・・
山梨市は(2006年)11月22日、推理小説作家、横溝正史(1902~81)が執筆に使った書斎を移築する「横溝正史館」を、笛吹川フルーツ公園の民間整備区域内(同市江曽原)で着工した。執筆当時の書斎を復元し、書庫を展示室にして遺族から寄贈された直筆原稿や愛用の文具などを置く。来年3月下旬の開館を目指す。同市は、展示する正史関係の書籍を収集しており、市民などに寄贈を呼び掛けている。

書斎は正史の没後も20年以上そのままになっていたが、今春、老朽化し解体が決まったのを、同市出身で東京・神保町で古書店を経営する幡野武夫さん(62)の仲介で、同市が遺族から無償で譲り受け、解体して同市内に運び保管していた。

書斎は木造平屋建て(約73平方メートル)で、8畳と6畳の和室に板張りの書庫があり、三方を縁側が囲む。入館料は100円を予定し、日中は管理するボランティアを置く。12月市議会で関係条例案を提出する。建設費は2200万円。

移築する場所は、10カ所の候補地から決まった。起工式で中村照人市長は「建設により市の文化的な活動の幅や厚みが広がる」とあいさつ。幡野さんは「松本清張ら社会派推理小説の台頭で正史は追いやられたが、書斎復元をきっかけにブームが再び起きればうれしい」と話した。 山梨市生涯学習課 電話 0553-22-9611 (C)毎日新聞・【富田洋一】
移築の決定
◇ 2006年5月8日、山梨市広報記事「横溝正史氏の書斎を譲り受けました」
推理小説の巨匠、横溝正史氏の書斎の引き渡し式が現地(東京世田谷区成城)にて行われました。市からは中村市長ほか小林助役、担当の生涯学習課職員らが出席し、書斎の前で横溝氏の長男亮一さんより市長に目録が手渡されました。この書斎は横溝氏が晩年まで使っていたもので、今回の引き渡しでは住宅とともに愛用していた朱塗りの座卓や文箱、書簡など50点以上を譲り受けました。
◇ 2016年5月8日のYBS山梨放送ニュースを記録してあります・・・
金田一耕助シリーズで有名な作家・横溝正史の都内の書斎が、山梨市に移築されることになった。山梨市に移築されることになったのは、横溝正史が晩年まで執筆に使っていた、世田谷区の住宅に隣接する離れの書斎。老朽化のため解体が決まっていたが、この話を聞いた都内で古書店を営む幡野武夫さんが、故郷の山梨市に移築することを提案した。きょうは長男の亮一さんから、山梨市の中村市長に目録が手渡された。
このニュースを知った時の私の「ちょっと口惜しい想い」をブログに書きました・・・
横溝正史は実は甲府の方が縁が深い、それは甲府市湯村にアトリエがあった竹中英太郎を世に出した「編集長」だったからです、と私は思っています。それ故にこのニュースを口惜しいという感覚で捉えました。

1920年(大正9年)創刊で1950年(昭和25年)まで続いた「新青年」という博文館が出版した雑誌がありました。その二代目編集長が横溝正史で、白井喬二に紹介されて博文館で挿絵を描いていた竹中は横溝正史に見いだされて「新青年」で江戸川乱歩の「陰獣」の挿絵を担当したのです。1928年(昭和3年)のことでした。

山梨市に移築される横溝正史の書斎には多くの資料もあると思います。竹中英太郎に関る未発見の資料がでてきたら、これはすごい事になります。

文化って一人がいくら活躍したって成熟するものでは無い、大勢の人々がその一人にひきつけられ坩堝のように熱を加え続けてかき回しているうちに、そこから発散するものが更に人々を引き寄せていくのだと思います。
2006.05.09 のブログ記事、「横溝正史と竹中英太郎」は、『ちょっと口惜しいニュースが流れました。』と書き出したのです。『金田一耕助シリーズで有名な作家・横溝正史の都内の書斎が、山梨市に移築されることになった。山梨市に移築されることになったのは、横溝正史が晩年まで執筆に使っていた、世田谷区の住宅に隣接する離れの書斎。老朽化のため解体が決まっていたが、この話を聞いた都内で古書店を営む幡野武夫さんが、故郷の山梨市に移築することを提案した。きょうは長男の亮一さんから、山梨市の中村市長に目録が手渡された。』というニュースを踏まえて横溝正史と竹中英太郎の関係を書いたものです。
既にご案内のように竹中英太郎生誕百年記念の特別展が甲府市湯村温泉郷の 竹中英太郎記念館 で開催されています。
横溝正史ファンの方々にはおなじみと存じますが、横溝正史と竹中英太郎の関係は小説「鬼火」検閲削除事件の資料展示でも知ることができます。
横溝正史
企画展前期の展示→下のガラスケース内
横溝正史
「鬼火」ページ削除に関する資料展示

記念館の特別展では戦前の挿繪原画と収録された雑誌を見比べることが出来るようなユニークな展示です、山梨市にお越しの横溝正史ファンの皆様もぜひ湯村までお運びください。【生誕百年記念特別展は2006年9月~2007年4月】

「横溝正史館」という名称で書斎の移築場所に決定したと産経新聞に報じられた山梨県笛吹川フルーツ公園は山梨市にありますが、市の施設では無く(財)山梨公園公社が運営しています。自動車でアクセスするにはフルーツ公園の案内ページがあり、JR山梨市駅と結ぶ市営バスについても書かれています。広域地図はMapFanの地図をご参照ください。

車で来県されたなら竹中英太郎記念館にもお立ち寄りください。国道140号線(雁坂みち)を西へ、甲府市に入ったら「韮崎・昇仙峡方向を示す道路案内標識」に従い愛宕山のトンネルを抜ける一本道です。竹中英太郎記念館ホームページに地図があります。

建設予定地を訪問しました
横溝正史
フルーツ公園の一番上、物産館、管理事務所、展望広場

公園内の道路をどんどん上っていくと「フルーツパーク富士屋ホテル」があります。更に道なりに走ってホテルの裏手になる処まで、左側に物産館や展望広場、右側に駐車場、高台に「赤松の湯」があります。フルーツ公園の敷地はここで終わるようです。

横溝正史
右側高台に赤松の湯があります
横溝正史
横溝正史館の移築予定地(駐車場)

管理事務所の所長さんから親切なご説明をいただきました。フルーツ公園は国の助成金などの関係があるが、物産館の50mほど上にある駐車場が市有地で、11月からここをきちんと造成して書斎移築工事が始まる予定です。2月開館予定は少し遅れて年度内完成の見込みとのことです。新聞報道によると書斎は昭和20年代に建てられた木造平屋建築で、各8畳の書斎と寝室、書庫がある、屋根瓦には横溝正史が好きな朱色が使われているとのことです。
この位置は横溝正史が肺結核療養の為に中央線で長野県上諏訪に向かう途中、日下部駅(現在の山梨市駅)で途中下車して散策した笛吹川河畔も見下ろせる見晴らしの良い場所です。展望広場からの眺望は「新日本三大夜景」に選定された見事な夜景も楽しむことができる場所です。

移築に関連した情報
◇ 2006年3月、山梨市広報記事「横溝正史先生の書斎・寄贈決まる」
 (2006)3月18日、金田一耕助を探偵役とする推理小説作家・横溝先生のご長男・亮一先生宅を訪問し、さまざまなお話をする中で寄贈していただけることとなりました。約20坪ほどの書斎で、戦後建築されたものとのこと。また、映画「犬神家の一族」が30年ぶりに市川崑・石坂浩二のコンビでリメイクされると発表されており、既に、前回撮影の長野・上田で準備が進んでいるので、可能性は薄いですが、映画撮影に根津邸など山梨市を少しでも使っていただければと思っています。野々宮珠世役は松嶋菜々子と決まりました。今後ミステリーツアーなどさまざまな企画が可能となります。
◇ 2006年5月、山梨市広報記事「横溝正史氏の疎開先、岡山県倉敷市真備町を視察」
(2006年)5月8日、日本推理小説界の巨匠、横溝正史氏の書斎他約60点を正式に寄贈いただきました。設置場所などこれから検討していきますが、それに先立ち、さっそく5月13日~14日、正史氏が疎開し、執筆活動をした岡山県倉敷市真備町を視察しました。(以下略)