甲府湯村温泉郷 志麻の里
甲府市の北部(JRの北側)は東から西に表門(うわと)の里、板垣の里、小松の里、志麻の里と呼ばれて古代から近世にかけて遺蹟、歴史文化遺産の宝庫です。この地域でよく知られたものでは連歌で有名な酒折宮(さかおりのみや)、甲斐善光寺、府中五山、武田神社、塩澤寺がありますが、ここ湯村温泉郷はそれらの一番西(甲府市北西部)志麻の里にあります。
志麻の里は湯村山、羽黒山、片山の南麓をたどり、現在の地名では湯村、羽黒町、山宮町、千塚を通る道筋になります。中世にはこのあたりは志麻庄(しまのしょう)と呼ばれる荘園で、現在の町名では荒川、中村町、長松寺町、金竹町、甲斐市(旧敷島)の牛句、境、天狗沢、島上条、中下条、大下条、長塚あたりまで含まれていました。
湯村温泉は古くは志麻の湯(志麻庄の湯の意味)と呼ばれ、平安時代初期の大同3年(808年)に弘法大師によって開かれたと伝えられ、杖の湯、鷲の湯、谷の湯、野良湯などがありました。空海が日本に戻ったのは806年ですから、帰朝後に間もなくこの地まで訪れていたのですね。武田信玄や家臣達も湯に入り、信玄の隠し湯といわれましたが、江戸時代には湯泉は村が管理していました。明治の中頃から温泉旅館が建てられるようになり、現在の温泉郷となりました。
山の手通りから湯村温泉通りに入って100m程で右側にあるのが湯村ホテルです。その少し手前奥に湯村温泉病院があります。ホテルや病院の裏を湯川が流れていて下流で相川に合流します。
湯村温泉通りからでは全貌が見えがたいですが、ちょっと裏に回った湯川沿いにある駐車場から湯村山がくっきり見えました。この山頂には湯村山城跡があり、土塁や井戸の跡が残っているそうです。遊歩道で行くことができますが、私は未踏の場所です。この城は古くは「湯ノ嶋山城」(ゆのしまやましろ)と呼ばれ、信玄の父武田信虎が躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の西備えとして築いた城とのことです。
湯村ホテル裏の駐車場から見る湯村山
湯村ホテルを通り過ぎるとすぐに湯川橋がありますが、
この橋の上から湯村山方向に竹中英太郎記念館確認。
湯川橋から見る山の手通り方向
湯川橋から竹中英太郎記念館の場所が見えます
茶色の洋館がご自宅の建物、その敷地にあります
竹中英太郎記念館の坂から湯川橋を見下ろす
駐車場の脇からここまで歩ける細い道があります
昔の石切り場、竹中英太郎が選んだ場所
記念館脇から湯谷神社に続く遊歩道ができました
「塩澤寺から竹中英太郎記念館へ」でご紹介
石切り場跡地に咲く野生の藤
(2007年4月末撮影)
路線バスは甲府駅南口からなら「湯村温泉入口」を通過するバスをご利用になれます。その他のルートは路線図からご確認ください。バス停から竹中英太郎記念館までは湯村温泉通りを通って400mほどです。