甲府市藤村記念館の紹介
藤村記念館の名称はこの様式の建築物を当時の山梨県内各地に建設奨励した県令藤村紫朗(ふじむらしろう)の名前によります。この建物は昭和42(1967)年に「旧睦沢学校校舎」の名称で国指定重要文化財に指定されています。
山梨県内では藤村式建築と呼ばれる擬洋風建築の建物は県内各地に現在も残り博物館的な施設として活用されています。甲府市藤村記念館は甲府市教育部生涯教育振興室文化振興課が管理しています。
藤村記念館は2007年末で公開が停止され2010年には甲府駅北口の再開発地区にもう一度移築される予定です。
この記事は私が甲府に来て初めて見た藤村記念館になにかとても懐かしい想いを抱き、時折訪問して残した写真を整理しながら藤村記念館の歴史を辿ってみたものです。(このページは制作中です)旧睦沢学校の跡地
再移転の話を読んだ時に、最初に建設された睦沢(むつざわ)とはどんなところなのだろうか、今はどうなっているのだろうかと現地を探訪することにしました。MapFan地図でおよその見当はつけていたのですが、この日は昇仙峡を訪れた帰りに夫婦木神社を回っていくコースをとりました。近くになったら住民の方に場所をお尋ねしようと思っていましたが、この逆コースでは場所が判り難かったです。県道6号線の西町交差点から上っていけば道路左側に農協があり、その先に公民館の建物も見えてすぐに分かります。車は公民館北側の神社を回り込んで運動場に入ることができます。
隣の古い建物はおそらく旧中学校の校舎だったと思えます。現在の用途は分かりませんでした。
記念碑に描かれた校舎の絵
旧睦沢学校の記念碑
記念碑やいくつかのホームページから調べる事ができた歴史は以下の通りです。
- 1873 明治6年9月 亀沢学校創設
- この年1月、藤村紫朗が着任(県令心得、翌年11月に県令に昇任)
- 1874 明治7年 睦沢学校と改称
- 1874 明治7年12月 藤村式校舎起工
- 設計・施工 松木輝殷(まつきてるしげ)
- 1875 明治8年12月 藤村式校舎完成
- 1886 明治19年 睦沢尋常小学校と改称
- 地方官官制の発布、藤村紫朗は初代山梨県知事となる
- 1887 明治20年3月 藤村紫朗は愛媛県知事へ転任
- 1904 明治37年 睦沢高等小学校併設
- 1908 明治41年 睦沢尋常高等小学校と改称
- 1939 昭和16年 睦沢国民学校と改称
- 1947 昭和22年 睦沢村立睦沢小学校と改称
- 1949 昭和24年 中学校校舎新築
- 1954 昭和29年10月17日 敷島町立睦沢小学校と改称
- 1957 昭和32年4月以後昭和36(1961)年まで5年間、藤村式校舎は睦沢公民館として使用
- 1962 昭和37年 中学校は敷島中学校へ統合
- 1966 昭和41年 藤村式校舎は老朽化により撤去寸前のところ旧睦沢学校校舎保存委員会により武田神社境内に移築復元、甲府市に寄贈された
- 1967 昭和42年6月15日 国指定重要文化財 「旧睦沢学校校舎」
- 1969 昭和44年 郷土の民俗・歴史・教育・考古資料の展示館としての藤村記念館
- 1978 昭和53年3月 睦沢小学校は敷島北小学校へ統合のため閉校
- 1990 平成2年9月 藤村記念館は教育資料館に展示替え、現在に至る
- 2007 平成19年12月 藤村記念館は公開を停止して移転に備える