湯村温泉郷と竹中英太郎記念館

生誕百年企画展
清風明月
墓碑銘
竹中 労
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墓碑銘「恥なく眠りたい、と」

演劇舎蝶恋花さんの第1回公演のタイトルが、「せめて自らにだけは恥なく瞑りたい~川辺川ダム異聞~」ということから、竹中英太郎の墓碑銘のことに気が付き、演劇舎蝶恋花(えんげきしゃちょうれんか)さんに関心を持ちました。

竹中英太郎記念館
竹中家墓所 H21-04-08
英太郎夫人つね子様も共に

このNPOと竹中英太郎との関係は「蝶」「恋」「花」という文字に秘められている気が、なんとなくしたのですが、これは竹中労との関係でもあるはずだと分かってきました。『1970年(昭和45年)40歳の5月に仕事場を世田谷区代沢「蝶恋花舎」に移す。』とあること(寺田さんの竹中労年譜)、及び「百怪、我ガ腸ニ入ル」の竹中英太郎年譜には同じ1970年に『労の運動誌「蝶恋花通信」の表紙・・・』とあることから、このNPOは竹中英太郎~労の志に共感すべく、この組織名を名乗ったのではないかと、これは私の独断的推測です。

ところが、「せめて自らにだけは恥なく瞑りたい」ではなく、「せめて自らにだけは、恥なく瞑りたい、と」と書かれている資料を読みました(百怪、我ガ腸ニ入ル、p.158 高橋康雄「解説」)。
ほかでも「、と」を目にした覚えがあり、その時は「と」を深くは考えなかったのですが、ここにきてとても気になりました。

竹中家の墓所は甲府市営の「つつじが崎霊園」にあります。ここは甲府市岩窪町にありますが、躑躅ヶ崎という武田館(屋形)のあった地名から命名されたと思われます。近くには護国神社、円光院などもあり、桜の名所としても有名です。

まずはお墓にお参りして確認しようと、霊園の中の何処にあるかも知らずに出かけてしまいました。しかし不思議なものです、話に聞いていた自然石の墓石を頼りに上から見ていけば良かろうと選んだ通路がズバリ的中でした。

「せめて 自らにだけは 恥なく 眠りたい と」、「と」の部分に石の傷がかぶっているのですが、「と」と刻まれているとしか思えません。「せめて自らにだけは恥なく眠りたい」と言い切ってしまえば、それはそれとして一つの信条になりますが、「・・・、と」と言うことの意味は何であるか。「・・・と思いながら、ひとつひとつの仕事をやり遂げていく」という動的な強さを私は感じます。悟り切った顔をしておさまっていないダイナミックな生き方。竹中英太郎の生涯は私にとって、その幻想怪奇妖艶な絵の魅力以上のものになりつつあります。