湯村温泉郷と竹中英太郎記念館

清風明月

竹中英太郎記念館
門を入ると足元にご注意 [←勝手↑玄関]
竹中英太郎記念館
玄関への通路

門を通って玄関に向かう通路の右側に1文字ずつ刻まれた石が埋め込まれています。
清風明月不用一銭買

これは唐の詩人李白の「襄陽歌」(ジョウヨウカ)にある句だと判りました。原文では「清風朗月不用一銭買」、「朗月」とは明るい月「明月」の意味です。

竹中英太郎は昭和39(1964)年8月に湯村に家を建て、暑中見舞いに転居の知らせを発信しています。新居のことを色々書き記した後で、『ただ一つ文句なしに自慢できるのは、駒ヶ岳から富士山へと甲斐の山々を一望できる景観のすばらしさ』と記しています。
そして1970年、この湯村の丘から眺める甲斐の景観をこよなく愛し、それを表わすのに一番ぴったりしていると考えたこの詩句を自ら石に刻んで通路に飾った、なんと素晴らしい甲府賛歌だろうと私は思っています。

竹中英太郎記念館
転居のお知らせ

竹中英太郎はメモに「清風明月は一銭もいらないで買える」と書き残しています。そのメモには「安重根」の名前も書いてあるのですが、このアン・ジュングンは伊藤博文を暗殺した歴史上重要な人物です。李白のこの詩句をもしかすると安重根の言葉と思い違いをしていたのか、その点は確認する方法がありません。

「清風朗月不用一銭買」は「清風 朗月 一銭の買うを用いず」と読むことを「襄陽歌」が収録されていた複数の図書で確認しました。漢文の知識が乏しいので「清風、朗月は買うに一銭を用いず」と読めるかと思っていたのですが、修正しておきます(2006年06月01日)。
もう一つ、今回気になったことは「一銭」の意味です。唐代の通貨が日本の和同開珎のもとになっているはずですが、この「銭」は唐の通貨単位では無い、単に硬貨「ゼニ」の意味だろうと考えられます。この詩句は俗に言えば「びた一文払わず」とでもいう言い回しになりそうに思えます。

お金を払う必要も無く愛でることができる清風明月を肴に酒を飲む愉しさをあらわす酒仙李白ならではの句であり、「襄陽歌」は酒飲みの賛歌のようです。
この詩の初めの方に「笑殺山翁酔似泥」という句があります。「笑殺す 山翁 酔うて泥に似たるを」と読み下すようですが、酔ってふらふら歩いている李白を子供たちが笑いはやしている、山翁とは奇矯な行動で知られた晋代の役人とのこと。李白の姿がその人物に似ていて、その様子というのが「酔似泥」、「泥」というのは南海に住むと考えられた骨のないぐにゃぐにゃした虫(大辞林)で、これが「泥酔」の語源になっているようです。

さて、竹中英太郎さんが酒仙でもあったのかどうか、それは次の訪問の時に確認させていただきましょう。・・・すっかり忘れていましたが、館長さんにお訊ねしたところ、胆石を患うまではかなりの酒豪であったと・・・2006.08.24

 
生誕百年企画展
・清風明月
墓碑銘
竹中 労
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