竹中英太郎と労、その絆

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大工哲弘さんの2008年甲府桜座公演

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(画像は放映をキャプチャーしたものです)

2008年9月11日、テレビ朝日の「徹子の部屋」のお客様は大工哲弘さんでした。今回もまったく偶然に視聴する事ができました。いつものように仕事しながらサブPCのモニターにBGM代りにテレビを表示させていたのです。9月23日の桜座公演は出かける予定をしていたのでこれは予告編を見せてやろうという天の配剤かと思います(^o^)

ということで、今日23日は大工さんの公演に出かけました。前回はお一人でしたが今日は奥様の大工苗子さんもご一緒でした。

大工哲弘さんは「かりゆし」着用、これは徹子の部屋で着ていた物で模様は「サンニン」とご紹介になりました。調べてみたら月桃(沖縄でサンニン)、このページにある多数の写真を開いていくと、なるほどこの植物の模様だと分かります。

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大工苗子さんは琴を演奏されます。写真は始まる前に撮影しました。ライブ中写真撮影は禁止でした。従って奥様の素敵な衣装は映像がありません、残念。

初めて聞いた三線と琴の調和が素晴らしく、奥様の歌声、そして大工さんの歌に合わせて奥様が沖縄の踊りも披露してくださいました。衣装こそ違いますがまさに「舞姫さん」です。私は昔から沖縄の踊りに関心があり、今日も手足の使い方に注意していましたが、やはり足捌きや腰の構えは頷けるものがありました。

歌と踊りの組み合わせで黒島口説 (くるしまくどぅち)が演舞されました。前回の公演以後ウチナーグチ(沖縄方言)を何も勉強しなかったので、今日も歌詞の内容は全くわかりません、大工さんの解説から分かる程度です。それでも沖縄、琉球ってほんとに不思議な魅力にあふれた世界だと感じました。ちなみにこの琉球新報の記事から気が付きましたが、奥様の衣装はムイチャー(丈の短い作業着)に頭にティサージ、それらが装飾されたデザインになっていたものと思えます。

「徹子の部屋」でも歌われた八重山民謡の「とぅばらーま」はやはり生で聞くとその素晴らしさが分かりました。大工さんのレパートリーは広く、今日も中山晋平の歌も入りましたが、それらを収録した「ジンターランド」 のCDがあります。私が生半可に書くよりリンク先をご参照ください。入手方法などについては、off note-blog-から「 作品別 index 」や「通信販売について」をご参照ください。

念の為に石垣市観光協会サイトから石垣島の基本情報を見て、石垣市公式サイトの平成20年度 とぅばらーま大会もチェック。

琉球フェスティバル2008

9月21日には「琉球フェスティバル2008」が東京の日比谷野外音楽堂で開催されました。大工哲弘さんのライブスケジュールを参照してください。当日は雨でしたが3千人もの観客が集まったとのお話でした。このイベントは竹中労さんによって1974(昭和49)年8月に「琉球フェスティバル74」として始められたものです。その事に触れられながら21日は大工哲弘さんがトリを務められたことをお話になりました。これについてウルマックス(沖縄旅行、泡盛、沖縄料理、方言、文化など、沖縄情報を満載!)に詳しい記事がありますので、少し長いですが引用しておきます。

「琉球フェスティバル」の歴史は、1974年8月28日、大阪フェスティバルホールまでさかのぼります。当時、沖縄の音楽の独自性や魅力は、ほとんど他府県には伝わっていませんでした。そんな時代に、故・嘉手刈林昌を筆頭に、故・照屋林助、知名定男、大工哲弘など、当時沖縄県内でも揃えることが難しいと言われた民謡界最高レベルの唄者を集め、奇跡の饗宴を実現したのが、69年以来沖縄に通い詰め、島唄の世界に魅入られたルポライター、故・竹中労でした。
東京では7000人の聴衆を熱狂させ、カチャーシーが舞台を埋めつくす大成功だったといいます。しかし、75年の春と夏に開催された琉球フェスティバルでは、会場によって観客が少なかったり、運営上のトラブルなどが重なり、竹中労は多くの金銭的、人的ダメージを負うことになりました。このあと、「琉球フェスティバル」の歴史は長く途絶えたままとなります。
その後、竹中労の追悼の会となった「琉球フェスティバル91」を挟み、再び歴史が動き出したのは、1995年のことでした。

上記、竹中労さんは出生地こそ東京ですが、竹中英太郎ご子息、甲府空襲の時は15歳、旧制甲府中学の出身、お墓は躑躅ヶ崎霊園にあります。私はいずれきちんとホームページで記事にするつもりで勉強中です。そして今日大工哲弘さんは宮沢和史さんの事も少しお話になり、「島唄」もお歌いになりました。私は「島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ♪」のフレーズを聞きながら、桜座の暗い片隅に竹中労さんが立っていて、甲府に沖縄の歌声が響くこの情景を微笑んで見ておられるような気がして涙が出てしかたありませんでした。

2006年の甲府公演もご一読ください。